ビー玉

小さなタメ息と灰色の空、
枯れた紫陽花とパン屋の匂い、

季節を失った町で見落とした涙。
幾何学的に並ぶ室外機。
無意味に回る。
野良猫が笑う。
水黽が跳ねる。

転がり続ける僕の球体。
削り削られ、綺麗になった僕の心臓。
ビー玉一つ、旅に出る。
青信号は虚しく照らす。

甘い手

ある人を好きになって自分を変えた。
ある人は私を変えてくれた。
あの日、私は変わった。
あの日、私はなくなった。
夢見る快感と自分の消費。
夏の夜のぬるい風が今日はなんだか心地よい。

足取り軽く、入った部屋で
私はさらに自分を露にする。
変わった私を。変えたあなたへ。

悦びと怠惰が渦巻く中、
私だけを見てほしい。
ただそれだけだった。

またあなたの甘い手に誘われて

境を滲ませて

私を連れてって。

不思議

誰かの前だと態度が変わる、
可愛くなる、格好をつける、
少し背伸びする、お洒落をする、
強がる、甘える、意地を張る。

素敵なことだと思う。
形成された"自分"というものは
なかなか変えることはできないのに
好きな人の前では一瞬で違う自分が顔を出す。

あの人の前では新しい自分に出会えると
思うととてもワクワクする。
そんな甘い自分を受け入れるのも恋の不思議だ。

けもの道

私はずっと「頑張れ」という言葉が苦手だ。
友達や家族、恋人、動物にもついつい使ってしまう言葉だと思う。

私は何故かうまく使えない。
言いたくない。
言ってしまうとどこか無責任な気持ちに襲わる。
容易く言える言葉ではないと私は思っているけど
周りには当たり前のようにその場しのぎに、ポンポンと"頑張れ"が溢れてる。不思議でならない。




結果なんてとうでもいい時に
あなたに送る"頑張れ"はどう届いてますか。
意味だけ受け取ってください。
でも応援したい気持ちはたくさんあるんです。
頑張れ 頑張れ

でもやっぱり最後は
"耐えて"

と送ります。これはどう届いていますか?

ありふれた人生

筋書き通りに物事が進むのはとても気持ちが良い。

計算して考えて、プランをたてている時間は私に
期待と妄想を膨らませる。それだけでも楽しいのに計画が予定通り進行されていく過程を見て過ごすのに快楽に近いものを感じる。

ありふれた人生ってなんだろう。
計算通りの人生。
文字通り、ありふれた人生。
そもそもありふれた人生ってなんだろう。
何がありふれてるのだろう。

私の人生は今、どうだろう。
何かありふれてるだろうか。
疑問でありふれている。

明暗の点滅、人生の岐路。

あじさい通り

6月一週目に鎌倉に行った。
本当は紫陽花を見たかったが
仕事の休みがとれずにどうしようもなく 
一週目に行った。
当然のことながら全く咲いていなかった。
新鮮な緑。
きっと来週辺り綺麗に咲くんだろうなあ。
と思ってその場を後にした。
咲いていないものは仕方がない。
そもそもそういうものは時期を合わせて
行くべきなのだ。

帰りに食べれもしないのにしらす丼を頼んだ。
私はナマモノが苦手でお刺身とかも食べられない。
それなのに今日は食べれる気がして頼んだ。
きっと鎌倉らしいものに触れたかったんだろうなあ。


今年の見頃も例年通り、二~三週目だったそうだ。
私が行った次の週にはお昼番組が取り上げていた。

合わないからこそ時期に価値を感じる。
また来年、行ってみたいと思う。
結局、しらす丼を半分残して店をあとにした。

花の写真

何か習慣が欲しかった。
同じことの繰り返しを欲しがった。

些細なことの繰り返しで実る成果が欲しかった。

そこで私は茄子の苗を買った。

理由はなく、別にトマトでもキュウリでもよかった。

水を与えることくらいなら出来る。
アブラムシ対処くらいなら出来る。

夏の思い出に茄子を作ろうと思った。

思った通り順調に育ち、花も咲き、このまま育てば
あと2~3週間でぷく~っとした丸みを帯びた形になり、収穫できるところで私は"習慣"を捨ててしまった。

2,3日経ってしまえばもう枯れてしまい、
それから水を与え続けても戻りはしなかった。

成果も感じ、期待も膨らんでいたのに。

私は欲しがっていた"習慣"を手にし、
怠惰を捨てた。
しかし私にはやはり怠惰が必要だった。
"習慣"をそっと見えないような場所に置き、
今も私は涼しい部屋で甘い炭酸飲料を飲んでいる。

また来年、私は懲りずに苗を買うだろうか。
その苗は薄紫色で柔らかな花を咲かせるだろうか。

花が咲いたら写真を撮ろう。
自分はそのとき笑うだろう。